夕凪の街 桜の国2007年07月28日 21時58分17秒

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「夕凪の街 桜の国」初日舞台挨拶観て来たよ!
新宿ミラノ2という大きな劇場だったが、立ち見がでるほどの大盛況!


1958年(昭和33年)というと、我が広島カープにとってはとても大きなニュースがあった。
現在も二軍の寮として活躍している三篠寮が完成。
そして前年に完成したナイターの出来る球場、広島市民球場で初のオールスターゲームが開かれた。

その市民球場からすぐ近く、元安川の川岸にある集落があった。
今はサイクリングロードのあるきれいな緑の公園になっているが、当時、通称「原爆スラム」と呼ばれた、昭和33年のこの街が舞台だ。
昭和42年生まれの私だが、このバラックは、カープが初優勝した昭和50年頃まで残っていて(受入先の高層アパートが完成したため取り壊された)幼い頃の私は、広島の市街地にいくと、まず目に飛び込んでくる、この街並が少し怖かった。

物語はこの昭和33年の広島”夕凪の街”と、平成19年の東京”桜の国”の二部構成。それぞれの主演が麻生久美子、田中麗奈。


期待が大きかっただけに観るまで不安だった。
「原作のイメージを壊してないだろうか?」
しかし、そんな心配は”夕凪の街”皆実役の麻生久美子の演技が吹っ飛ばしてくれた。
”夕凪の街”から”桜の国”に移る頃、もう涙が玉のように出て来て止められなくなった。
”桜の国”にも回想シーンのような形で”夕凪〜”の話が出て来るのだが、麻生が画面にでるだけで涙が止まらなくなった。
ラストシーンもちょっと込み上げてくるものがあり、そのまま舞台挨拶にいったものだから、もう田中麗奈と麻生久美子の二人の顔を見ただけでボロボロ泣いていた。

原作のイメージ通りの人選というより、田中、麻生の女優としての力量を見た気がする。
麻生は挨拶でもいっていたが、「10年(役者を)やってきて初めて、これは(皆実役)私がやるんだ!私以外には誰にもやらせない。」という意気込みが本当に伝わって来る演技だった。

役者それぞれがテーマが重い分、いろいろ考えて作品に臨んでいた為、熱く語った結果、時間がなくなり、最後の佐々部監督が少ししかしゃべれませんでしたが、取急ぎ一つのメモを読み上げた。

「もっと早く戦争が終わっていたら、広島、長崎に原爆は落とされなかったのです。どんな戦争にも正義はありません。一人でも多くの方に、この映画を観て頂きたいと思います。そして、二度とこのような悲劇が起きないよう願っています。___吉永小百合」

核兵器は、この物語のように落ちた直後だけでなく、その後何十年も放射能による人体への影響が続く。被爆していない生まれ来る子供達にも影響がある。チェルノブイリの事故などを見てもそうだ。
地震で被害を受けた新潟の原発の責任者の方々、大変な時でしょうが慎重な対応を望みます。

原作は、こうの史代のマンガ(双葉社)。
広島出身の古い友人より教えてもらったのが最初だ。
静かに、本当に静かにヒロシマを語っていく。
作者は私と同世代で広島出身。
「広島と長崎以外の人は原爆の惨禍について知らない。いや知る機会が少ない。」
という現実が被爆者でも被爆二世でもない作者の執筆を力づけたそうだ。
似た境遇の私も広島の人間として、平和の為に出来ること(自分にとり一番表現しやすい方法は唄だと思う)をやっていこうと思う。

ホームページ
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田中麗奈インタビュ−
http://movies.yahoo.co.jp/interview/200707/interview_20070726001.html

麻生久美子インタビュー
http://osaka.yomiuri.co.jp/kenko/he70112a.htm

ニュース
http://movies.yahoo.co.jp/m2?ty=nd&id=20070728-00000020-dal-ent